12月30日の夜、1時ちょっと前、ということは実際にはもうすでに大晦日になっているわけですが、台所でおせちを作りながらこれを書いています。 おせちを自分で作り始めたのはオーストラリアのシドニーにいたころだから、かれこれ12年ほど前のことです。インドネシアで3年過ごした後、オーストラリアで1年を経て、おそらく今後もずっと自分は海外で正月を迎え続けるのだろうなと考えはじめたのがきっかけでした。そのうち日本に帰るのなら何年かおせちを抜いてもいいけれど、あまり日本で正月を迎えることが期待できないと思ったとき、自分でおせちを作らなければいけないという妙な強迫観念にとりつかれてしまったのでした。
昨日、食材の買出しに行って、きょうの午後、作り始めました。大根と人参のなます、酢ばす、きんぴらごぼう、栗きんとん(栗とサツマイモのきんとん)、里芋の煮っころがし、と作って、今、黒豆と白豆を煮ているところです。明日は、昆布巻き、煮しめ、筑前煮/うま煮、五目寿司の具、を作ります。正月二日に日本語教育関係の友人知人をよんでいるので、腹をふくらませてもらうために五目寿司も我が家では正月の定番メニューになっています。
豆は昨日の夜から水に漬しておいたのを1時間半ぐらい前からにはじめました。白豆はようやくやわらかくなってきたので、今(午前1時10分)砂糖を投入しました。黒豆はまだかたいので、もう少し我慢して起きていなければならないようです。 このほかに、雑煮、伊達巻き、紅白のかまぼこ、鮭の刺身、などが正月の食卓を飾ることになっています。
それでは、 よいお年を。
彼是備忘録
海外生活の中で、あれこれと「考えていること」、「感じたこと」、「気がついたこと」、「経験したこと」などを書き綴ります。不定期です。
Sunday, December 31, 2006
Saturday, December 09, 2006
拍子抜け
先週はえらく寒くて、一番寒いときは気温が零下38度まで下がった。11月でもうこの寒さなら、これから先が思いやられると思いながらも、これまで経験したことがない寒さだったので「もっと寒くなると面白いぞ」という気分がなかったといえば嘘になる。ところがその後暖かくなって、今週は零度前後で気温が推移している。そうなると、なんとなく拍子抜けした気分になったのは妙である。
通勤で乗る電車はエドモントン市の中心を流れるサスカチュワン川の上の鉄橋を渡っていくので、毎朝川面の状況を観察している。2週間ほど前に気温が大きく下がったときは川面全体が氷結していたのだが、今週のはじめあたりから部分的に氷が解けはじめて水の流れが見えはじめ、毎日流れが見える部分が大きくなってきている。
どんなに寒くなっても家屋やオフィスなどの建物の中や乗り物の中は暖房がきいていて、屋外の寒気にさらされる時間はごくわずかなので、気温がいくら下がろうと現実的にはほとんど痛痒は感じない。拍子抜けした気分になる所以である。
通勤で乗る電車はエドモントン市の中心を流れるサスカチュワン川の上の鉄橋を渡っていくので、毎朝川面の状況を観察している。2週間ほど前に気温が大きく下がったときは川面全体が氷結していたのだが、今週のはじめあたりから部分的に氷が解けはじめて水の流れが見えはじめ、毎日流れが見える部分が大きくなってきている。
どんなに寒くなっても家屋やオフィスなどの建物の中や乗り物の中は暖房がきいていて、屋外の寒気にさらされる時間はごくわずかなので、気温がいくら下がろうと現実的にはほとんど痛痒は感じない。拍子抜けした気分になる所以である。
Tuesday, November 28, 2006
寒さはシベリア並み
寒い。
10年ほど前にハンガリーのブダペストに2年半住んだことがあって、それが個人的にはこれまでの最も寒い体験だったのだが、そんなのはもう比較にも何もならない。
先週の金曜日に仕事でカルガリーへ行って、きょう(月曜日)エドモントンに帰ってきた。このアルバータ州の二大都市間の移動は南北に走る国道2号を利用して約3時間半、制限速度標示は110kmとなっている。普段は車のクルーズコントロールを時速110キロにセットし単調な運転に退屈するような行程なのだが、今回は110キロで走り続けるのがすこし恐ろしかった。
ここ数日、小雪が降り続いている。気温が非常に低いので降った雪が路面に積もるという現象は発生せず、横なぐりに吹き続ける風と前方を走行する車が巻き起こす風とで目の前は白い砂嵐のようになる(運転しながら写真をとろうかとも思ったが自制しました)。しかも、運転席からは見えにくいブラックアイスと呼ばれる路面凍結が処々に発生しているらしく、中央分離帯(といっても日本の高速のそれとは違い、幅は20メートルぐらいある)に突っ込んでしまった車をちらほらと見かけた。
エドモントンに来る前に「冬の寒さはシベリア並みだ」と人に言われたときは、単なる言葉のあやだろうと思っていた。あまり寒いので、ちょっとインターネットで調べてみると、まさしくシベリア並みの寒さなのである。今これを書いている時点(11月27日午後11時)でのエドモントンの気温が零下24度、イルクーツクは同17度、ノボシビルスクは同25度、ヤクーツクという所は何と零下38度の寒さである。ちなみにこのぐらい寒くなると、日中の気温と夜間の気温にはほとんど差はなくなってしまう。お天道様もお手上げだ。網走や稚内などというところもえらく寒いのだろうと思っていたが、氷点下にも至らない摂氏1度では、ここの寒さとは比べるべくもない。アラスカなども寒そうだが、アンカレジ零下7度、フェアバンクス零下18度で、相撲で言えば横綱と前頭・小結ぐらいの差はある。
とはいっても、室内はセントラルヒーティングで快適な温度に保たれていてシャツ1枚でもしのげるほどだ。ただ、外出するときには上から下までしっかりと防寒具を揃えることを怠ってはならない。
10年ほど前にハンガリーのブダペストに2年半住んだことがあって、それが個人的にはこれまでの最も寒い体験だったのだが、そんなのはもう比較にも何もならない。
先週の金曜日に仕事でカルガリーへ行って、きょう(月曜日)エドモントンに帰ってきた。このアルバータ州の二大都市間の移動は南北に走る国道2号を利用して約3時間半、制限速度標示は110kmとなっている。普段は車のクルーズコントロールを時速110キロにセットし単調な運転に退屈するような行程なのだが、今回は110キロで走り続けるのがすこし恐ろしかった。
ここ数日、小雪が降り続いている。気温が非常に低いので降った雪が路面に積もるという現象は発生せず、横なぐりに吹き続ける風と前方を走行する車が巻き起こす風とで目の前は白い砂嵐のようになる(運転しながら写真をとろうかとも思ったが自制しました)。しかも、運転席からは見えにくいブラックアイスと呼ばれる路面凍結が処々に発生しているらしく、中央分離帯(といっても日本の高速のそれとは違い、幅は20メートルぐらいある)に突っ込んでしまった車をちらほらと見かけた。
エドモントンに来る前に「冬の寒さはシベリア並みだ」と人に言われたときは、単なる言葉のあやだろうと思っていた。あまり寒いので、ちょっとインターネットで調べてみると、まさしくシベリア並みの寒さなのである。今これを書いている時点(11月27日午後11時)でのエドモントンの気温が零下24度、イルクーツクは同17度、ノボシビルスクは同25度、ヤクーツクという所は何と零下38度の寒さである。ちなみにこのぐらい寒くなると、日中の気温と夜間の気温にはほとんど差はなくなってしまう。お天道様もお手上げだ。網走や稚内などというところもえらく寒いのだろうと思っていたが、氷点下にも至らない摂氏1度では、ここの寒さとは比べるべくもない。アラスカなども寒そうだが、アンカレジ零下7度、フェアバンクス零下18度で、相撲で言えば横綱と前頭・小結ぐらいの差はある。
とはいっても、室内はセントラルヒーティングで快適な温度に保たれていてシャツ1枚でもしのげるほどだ。ただ、外出するときには上から下までしっかりと防寒具を揃えることを怠ってはならない。
Wednesday, November 22, 2006
凍結ペン
勤務先の役所はエドモントン市の中心部にあり駐車場も高くつくので、11月に入ってから通勤はバスと電車を乗り継いでいる。10月の末までは天気のいい日はオートバイで通勤していた。うちの車は普段はもっぱらカミさんが使っている。
通勤時間は道の混み具合にもよるが通常は約45分間で、この間の時間つぶしに最適なのが半年ぐらいまえから凝りはじめたSUDOKU(数独)パズルだ。日本では2、3年前にはやったらしいが、北米では今年に入ってから人気がでた。簡単なやつだと片道二つぐらいはこなせて、仕事前の眠たい頭を起こすのにちょうどいい。
バスから電車に乗り換えるところはアルバータ大学の大学病院の前で、バスを降りて100メートルほど歩くとホームに着く。その間約1分、SUDOKUの本とボールペンは右手に持ったままだった。ホームに立ち電車が来るまで四角の箱に数を埋めていこうとしたら、ついさっきバスから降りるまでは書けたのに、そのペンが今は書けない。パズルの余白の部分にぐちゃぐちゃと線を引こうとしても跡が残るだけでインクがでないのだ。あれっ、インクを使い切ったかなと思ったところへ電車が入ってきたので、乗り込んで座席に座り(始発駅なので必ず座れます)手袋をはずして再度パズルに取り掛かったところ、今度はちゃんと書けるではないか。
役所についてインターネットで今朝のエドモントンの気温を確認したらマイナス20度。でも地元の人に聞くと、こんなのは1月、2月に比べるとまだまだ序の口とのことでした。
通勤時間は道の混み具合にもよるが通常は約45分間で、この間の時間つぶしに最適なのが半年ぐらいまえから凝りはじめたSUDOKU(数独)パズルだ。日本では2、3年前にはやったらしいが、北米では今年に入ってから人気がでた。簡単なやつだと片道二つぐらいはこなせて、仕事前の眠たい頭を起こすのにちょうどいい。
バスから電車に乗り換えるところはアルバータ大学の大学病院の前で、バスを降りて100メートルほど歩くとホームに着く。その間約1分、SUDOKUの本とボールペンは右手に持ったままだった。ホームに立ち電車が来るまで四角の箱に数を埋めていこうとしたら、ついさっきバスから降りるまでは書けたのに、そのペンが今は書けない。パズルの余白の部分にぐちゃぐちゃと線を引こうとしても跡が残るだけでインクがでないのだ。あれっ、インクを使い切ったかなと思ったところへ電車が入ってきたので、乗り込んで座席に座り(始発駅なので必ず座れます)手袋をはずして再度パズルに取り掛かったところ、今度はちゃんと書けるではないか。
役所についてインターネットで今朝のエドモントンの気温を確認したらマイナス20度。でも地元の人に聞くと、こんなのは1月、2月に比べるとまだまだ序の口とのことでした。
Tuesday, November 14, 2006
JANOME
きょうは月曜日、普段なら7時ごろ起床、8時過ぎに家を出て役所へ出勤、というパターンなのですが、11日の土曜日がカナダではRemembrance Day(戦没者と退役軍人の顕彰の日)だったので、月曜日は振り替え休日でお休み。
ゆっくり起きだしてコーヒーを飲みながら朝刊を繰っていたら「JANOME」と大書したチラシが目にとまりました(写真参照)。変な話ですが、このところ英語圏での生活が長く続いているので、最初にその言葉を見たときは「ジャノーム」、それから下のミシンの写真を見て「なーんだ、蛇の目か」でした。
カメラの「NIKON」が一部英語話者には「ナイコン」と発音されているという話は聞いていたし、実際に Paul Simon の歌でも「ナイコンキャメラ」と発音されているのを聞いていたので、まあ、そんなものかなと思ってはいたのですが、実際に端無くも自分が「JANOME」というローマ字つづりから「ジャノーム」と発音してしまって、その間の事情を妙に納得したのでした。
ついでながら、日本の商標名が日本語の発音とは異なった言い方で発音されている例としては「DATSUN」などが思い出されます。「DATSUN」などと言っても、もう知らない人のほうが多いかもしれませんが、これは日本語では「ダットサン」と発音されて、由来はわかりせんがかつては日産の別名でした。この「DATSUN
ゆっくり起きだしてコーヒーを飲みながら朝刊を繰っていたら「JANOME」と大書したチラシが目にとまりました(写真参照)。変な話ですが、このところ英語圏での生活が長く続いているので、最初にその言葉を見たときは「ジャノーム」、それから下のミシンの写真を見て「なーんだ、蛇の目か」でした。
カメラの「NIKON」が一部英語話者には「ナイコン」と発音されているという話は聞いていたし、実際に Paul Simon の歌でも「ナイコンキャメラ」と発音されているのを聞いていたので、まあ、そんなものかなと思ってはいたのですが、実際に端無くも自分が「JANOME」というローマ字つづりから「ジャノーム」と発音してしまって、その間の事情を妙に納得したのでした。
ついでながら、日本の商標名が日本語の発音とは異なった言い方で発音されている例としては「DATSUN」などが思い出されます。「DATSUN」などと言っても、もう知らない人のほうが多いかもしれませんが、これは日本語では「ダットサン」と発音されて、由来はわかりせんがかつては日産の別名でした。この「DATSUN
Friday, May 26, 2006
家の前
今朝、ゴミを出したときに「家の前」というトピックで思いついたことがあったので、いくつか書きとめておきます。
毎週金曜日は私の住んでいるあたりではゴミの収集日になっています。普通のゴミは、金曜日の朝、ゴミ専用の大きなプラスティック容器や段ボール箱、プラ袋などに入れて家の前の道路わきに出しておくと、町営の収集車がやってきて持っていってくれます。この収集車は一軒ごとに止まってくれるので、日本の住宅街のように決められたゴミ収集地点まで持っていく必要はありません。逆にプラボトル、缶、ガラス瓶、新聞紙や雑誌などのリサイクル品目は指定の収集場所まで自分で持っていかなければなりません(毎週水曜日と土曜日)。

つぎはスクールバスです。アメリカの学校では(大都市の住宅密集地域は別にして)小学校から高校まで必ず登下校のためのスクールバスというのがあり、家が学校から一定の距離(歩いて15分ぐらいでしょうか)をこえて遠くにある場合は無料で利用できるようになっています。このスクールバスはアメリカ中どこへ行っても判で押したように黄色で、デザインも新しいバスと古いバスとにかかわらず一律に古くさくて頑丈かつ鈍重な感じです。要するに安全第一ということなのだと思います。どの学校に行っても始業前と放課後にはこの黄色のスクールバスが何台も列をなして止まっていてなかなかの壮観です。で、たまたま私の家の前がそのスクールバスの停留所の一つになっていて、毎日午前7時40分ごろと午後3時50分ごろに必ずバスが止まり近所の子供達が乗り降りします。うちの子供もたまにこのバスを利用します。たまにというのは学校をサボっているわけではなく、歩いて行ったり(25分ぐらい)、自転車で行ったり、車で送ったりすることが多いからです。スクールバスだと遠回りで時間がかかり車内も喧騒を極めるらしく、あまりバスでは行きたがりません。ちなみに、車を運転していて前方でスクールバスが止まったときには要注意です。止まると同時にバスの横から「STOP」という標識が出ますが、これが出てから引っ込むまでの間、対向車線を含めてすべての車両は児童生徒の安全確保のために停止しなければなりません。

家の前には郵便受けもあります。この国の郵便制度で便利だと思うのは、郵便受けに切手を貼った手紙(料金受取人払いでもかまいません)を入れておくと配達の人が持っていってくれることです。郵便受けの横には赤くて小さい旗/矢印のようなものがついていて、投函したい郵便物があるときはその郵便物を郵便受けに入れてこの旗/矢印を上げておきます。配達の人はそれに気がついて持っていってくれるという仕組みです。日本でも地方で交通の不便なところにはこのような制度があるのかもしれませんがつまびらかにしません。

私の家の前には消火栓もあります。消火栓は住宅街では一定の距離ごとに設置することが義務付けられていて、たまたま私の家の前が設置箇所の一つになっています。黄色というのが消防は赤という日本でのイメージからするとちょと変な感じです。半分さびていますが、少し前に消防の人が点検に来て栓を開け水が噴出するのを確認していました。

最後にもう一つ。6月からカナダのアルバータ州教育省で新しい仕事が始まるため、家族一同で同州のエドモントンというところへ移り住むことになっています。この仕事は約2年の予定ですが、その間今住んでいる家は空っぽにして貸家にすることにしており、家の前には不動産屋が「貸家」という看板を出しています。

Friday, May 19, 2006
アトラトル - Atlatl
水曜日(5月17日)の夕方、「アトラトル(atlatl)」という矢投げ/槍投げの実演イベントに行ってきました。私はこの「アトラトル」については何の知識もなかったのですが、カミさんがたまたま地方新聞のイベント情報のページで見つけてくれ、面白そうなので息子と二人で参加しました。
「アトラトル」というのは矢/槍を投擲するために使用する長さ50センチほどの棒のことで、先端に小さい鈎がついていて、もう一方の端にはY字状の部品が取り付けられています。また、この道具を使って矢あるいは槍を投擲し狩猟する技術をも「アトラトル」と呼んでいるようです。アトラトルに使用する矢/槍(英語ではdart と呼んでいました)は洋弓のそれと形状はほぼ同じですが、長さは1.5~2メートルで洋弓の矢の倍以上あり、軸(直径7~8ミリ)の後端部は半球状にえぐられていて、アトラトルの先端の鈎に矢の後端部を引っ掛けることができるようになっています。投擲するときには、矢/槍の後端部をアトラトルの先端の鈎に引っ掛けてからY字の部分に軸を乗せ、アトラトルの根元(Y字部のすぐそば)を握って野球の上手投げのように投げます。そうすると、引き金のようなものはありませんが、矢/槍は自然に前方に飛び出していきます。
「アトラトル」というのは矢/槍を投擲するために使用する長さ50センチほどの棒のことで、先端に小さい鈎がついていて、もう一方の端にはY字状の部品が取り付けられています。また、この道具を使って矢あるいは槍を投擲し狩猟する技術をも「アトラトル」と呼んでいるようです。アトラトルに使用する矢/槍(英語ではdart と呼んでいました)は洋弓のそれと形状はほぼ同じですが、長さは1.5~2メートルで洋弓の矢の倍以上あり、軸(直径7~8ミリ)の後端部は半球状にえぐられていて、アトラトルの先端の鈎に矢の後端部を引っ掛けることができるようになっています。投擲するときには、矢/槍の後端部をアトラトルの先端の鈎に引っ掛けてからY字の部分に軸を乗せ、アトラトルの根元(Y字部のすぐそば)を握って野球の上手投げのように投げます。そうすると、引き金のようなものはありませんが、矢/槍は自然に前方に飛び出していきます。
インターネットで調べてみると(http://www.onagocag.com/atlatl2.html)、この狩猟方法は世界の各地で2万年以上も前から行われていたようです。弓矢ほどの命中精度や貫通力は期待できないものの、あまり高度の製作技術や投擲技術を必要としない比較的単純な方法なので古くからあちこちで行われていたというのもうなずけます。現在では、アトラトルを趣味としている人もそれなりにいるようで、アメリカでは競技会なども開催されているようです。
実演の指導はアトラトルを長いこと趣味として続けている男の人で、まずはじめに簡単な説明があり、それから彼が実際に何本か投げて投擲方法を示し、最後に参加者達の試し投げとなりました。はじめの何本かはぎこちなかったのですが、次第に慣れてきてかなり遠くまで放れるようになり、自分の放った矢/槍が大きな円弧を描いて100メートルほども先の芝に突き刺さったときは爽快な気分でした。遠投は要領がわかればそれほど難しくはありませんでしたが、15メートルぐらいの近距離の的を射るのはなかなか難しく、意地になって何本も試みましたが、とうとう最後まで的中させることはできませんでした。残念。
Tuesday, May 16, 2006
齢と草木
人は年をとると(私は今年の9月で50になります)草木のことなどに関心が向くようになるのでしょうか。近頃は、散歩などしていてふと目に入ってくる花や木の名前がむやみに気になることがよくあります。
針葉樹は一目見れば松や杉の類とわかりますが、それすらも松や杉の類と大きく括った形でわかる程度で、例えば檜や栂とかいった単体の名称はほとんど何もわかりません。桜、楓、銀杏などの比較的よく見かける樹木も同じで、細かな分類はわかりませんし、広葉樹に至っては何も知らないといってもいい過ぎではないほどです。花も、躑躅、紫陽花、菊、チューリップ、水仙など、見てすぐわかるものは限られています。それで、散歩するたびに「ああ、ポケット植物図鑑のようなものを手に入れなければ」と思うのですが、うちに帰ると忘れてしまうのは知的怠慢ということでしょうか。
これに輪をかけているのが、米国在住のため植物に関する一次情報はすべて英語という環境です(植物に限らずなんでもですが)。「oak(樫・柏?))」だとか「elm(楡)」だとか「dogwood(ハナミズキ)」だとか、もともと日本語でいわれても実物を識別することはできないのですから、知らないものの名前を英語でいわれ、それを目の前にして識別するというのは二重の困難がともないます。
話は変わって、今、庭でシャクナゲの花がきれいに咲いています。「rhododendron」というのが英名です。数年前メルボルンに住んでいたときに、近郊に600種類だかの「rhododendron」があるという植物園があって、私の両親が遊びに来たときに案内したことがあるのですが、その時はこの「rhododendron」の和名が何であるかなど気にもかけませんでした。今、インターネットで調べてみると、「rhododendron」というのは「シャクナゲ」で「ツツジ属に属する諸種の常緑低木, 華やかな花をつける」ということがわかります。齢を重ねた功名というべきでしょう。
で、このシャクナゲ、よく観察してみると、たしかに花の一つ一つは躑躅の花によく似ていますが、面白いのは開花する前には多くのつぼみがまとまって一つのつぼみを形成していることです。写真を見るとその様子がよくわかると思います。
針葉樹は一目見れば松や杉の類とわかりますが、それすらも松や杉の類と大きく括った形でわかる程度で、例えば檜や栂とかいった単体の名称はほとんど何もわかりません。桜、楓、銀杏などの比較的よく見かける樹木も同じで、細かな分類はわかりませんし、広葉樹に至っては何も知らないといってもいい過ぎではないほどです。花も、躑躅、紫陽花、菊、チューリップ、水仙など、見てすぐわかるものは限られています。それで、散歩するたびに「ああ、ポケット植物図鑑のようなものを手に入れなければ」と思うのですが、うちに帰ると忘れてしまうのは知的怠慢ということでしょうか。
これに輪をかけているのが、米国在住のため植物に関する一次情報はすべて英語という環境です(植物に限らずなんでもですが)。「oak(樫・柏?))」だとか「elm(楡)」だとか「dogwood(ハナミズキ)」だとか、もともと日本語でいわれても実物を識別することはできないのですから、知らないものの名前を英語でいわれ、それを目の前にして識別するというのは二重の困難がともないます。
話は変わって、今、庭でシャクナゲの花がきれいに咲いています。「rhododendron」というのが英名です。数年前メルボルンに住んでいたときに、近郊に600種類だかの「rhododendron」があるという植物園があって、私の両親が遊びに来たときに案内したことがあるのですが、その時はこの「rhododendron」の和名が何であるかなど気にもかけませんでした。今、インターネットで調べてみると、「rhododendron」というのは「シャクナゲ」で「ツツジ属に属する諸種の常緑低木, 華やかな花をつける」ということがわかります。齢を重ねた功名というべきでしょう。
で、このシャクナゲ、よく観察してみると、たしかに花の一つ一つは躑躅の花によく似ていますが、面白いのは開花する前には多くのつぼみがまとまって一つのつぼみを形成していることです。写真を見るとその様子がよくわかると思います。
Tuesday, May 09, 2006
動物のことなど



山に入ると鹿や熊も珍しくはないようです。秋が深まると猟銃を担いで山に入るというのがこの土地の伝統行事となっていて、11月の狩猟シーズンには学校が二日だか三日だか休みになります(父親と息子のmale bondingというやつです)。去年の秋は、私の息子が行っている学校で「何々君、お父さんが駐車場で待っています」という校内放送の呼び出しがあって、その男子が行ってみると父親がトラックの荷台に仕留めた熊を積んで見せに来ていた(解体する前に)、という話もありました。たしか映画「Deer Hunter」はペンシルベニアが舞台ではなかったかと思います。
話はかわって、道端で車にはねられて死んでいる動物のことを英語では「road kill」というようですが、このあたりでよく見かけるroad killはポッサム、スカンク、リスなどで、秋には鹿もわりと頻繁に見かけます。このroad killはやはり場所によって種類が異なり、オーストラリアではカンガルーやウォンバット、フロリダではアルマジロなどをよく見かけました。
話はかわって、道端で車にはねられて死んでいる動物のことを英語では「road kill」というようですが、このあたりでよく見かけるroad killはポッサム、スカンク、リスなどで、秋には鹿もわりと頻繁に見かけます。このroad killはやはり場所によって種類が異なり、オーストラリアではカンガルーやウォンバット、フロリダではアルマジロなどをよく見かけました。
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